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フルーツバスケット研修会 一条吉広氏をお迎えして
2008年8月26日 本部教会礼拝堂


私は日本に来る前から、皆さんにお会いできるのを楽しみにしていました。今日は、皆さんのアンケートにお答えし、最後に祝福に関して触れてみたいと思います。

私は1982年のニューヨークで行われた2075双の祝福に参加したした後、韓国で家庭をスタートしました。最初の子供は韓国で、二人目はアメリカで生まれました。二人目が韓国に帰ってきて、成長を見ながら、3,4カ月の後、どうも体の発達がおかしいということに気づきました。そして、一歳の時、クリスマスの冬休みにアメリカで検査を受け、遺伝子に問題があるということが分かりました。

私は、グレンドーマン博士の『両親は最良の医師である』という本を読んでいましたし、また、子供が生まれる前に、『子供に数学を教えなさい』という本も読んでドット方式を学び、長女に応用させていました。息子に問題があると分かった時点で、妻がアメリカから帰ってくる前に、フィラデルフィアにあるドーマン博士の研究所に申し込みました。5月頃に、研究所から「どうぞ、来て下さい」という返事をいただきました。その時点では、やはり、日本、韓国では社会体制が障害者を受け入れ難い状況にあったので、ドーマン博士を通してだったらなんとかプラスになるのではないかと思い、私と相対者は仕事を止めて、一家は86年の6月にアメリカに引っ越しました。

家内の両親が、研究所があるフィラデルフィアから1時間ぐらいの所に住んでいましたので、年に2回、1週間の講習を受けながら、子供のレベルをチェックして、家庭でプログラムをやるという恵まれた環境に中で、妻が3年間そのプログラムをやりました。私も毎日、帰宅してからは、いろいろなカードを作りました。安い用紙を探して、3年間で、2千枚ほど作りました。それ以来、ワシントンの郊外、メリーランド州に住んでおります。

息子顯士(けんじ)は、障害がある場合は、21歳まで公立高校に所属できますので、特殊学級にいながら、21歳になった時点で卒業して、今は、ユダヤ系の老人ホームでボランティア活動をしています。プログラムがあり、車で送り迎えしてくれます。一日やることがあるので、本人も安心しています。

子供の状況を申しますと、知的障害で、知恵遅れです。算数はできません。任天堂のゲームが得意ですが、ただコインを集めるのが好きで、あまり先に進みません。人の名前や物覚えが良いです。以前つき合っていた人の名前を私達が思い出せない時、「あの人の名前はなんて言うの」と聞くと、すぐに答えてくれます。家で誰かが何かを無くした時、「見たこと無い?」と聞くと、「あそこにあるよ」と言うとか、そういう面での記憶力が良いです。

高校の時、彼は、学校の先生、スタッフの名前を覚えて、「グッドモーニング、ミスター誰々」と挨拶しました。「サンシャイン賞」というものを貰ったときも、みんなに挨拶をして、みんなからかわいがられていたからです。私たちが引っ越しすることになって、学校にお別れを言う最後も日、担任の先生がお別れ会をやってくれ、他の先生やスタッフ達が挨拶に来て、大きな色紙にメッセージを書いてくれました。

3年間教えてくれた先生が、私たちが引っ越しし、学校が代わってその始業式の日に、そこの学校の廊下に立っていました。顯士が前の学校から転校したためプログラムがなくなり、新しい職を探していた時、20名の候補者から一人だけ選ばれてこの学校で教えることが決まったのでした。そのことを知らない私の妻は、顯士を連れて行った始業式の日、ばったり廊下で先生に会った時、「ここまで挨拶に来てくれたの」と感激して泣いたそうです。その先生は今年6月に結婚しました。特殊学級で教えてきた子供の中で、顯士だけを結婚式に呼んでくれ、顯士は私と一緒に結婚式に参加しました。そのぐらい先生は息子をかわいがってくれたのです。


ここからは、皆さんが書かれたアンケートの中で、答えられる内容を中心にお話していきたいと思います。

「問題を持った祝福の子女がなぜ祝福家庭に生まれるだろうか」と、誰でも疑問を持ちます。顯士が障害を持っているということがアメリカの病院で確認された時、家内は涙を流しました。「一体この障害児を祝福まで導くことができるのだろうか」「誰がこの子を相対として欲しがるだろうか」ということを家内が疑問に思っていました。「おそらく、霊界でしか祝福を受けられないだろう。」とも言っていました。しかし、問題はこの事実をどう受け止めるかが私たち親の責任です。私の体験から言えば、神様の栄光を表すためだと信じています。障害児を祝福の子女として授かったことは蕩減でもなく、重荷でもなく、それは神様の栄光を表すためです。これが私の実感です。

私の子供の場合は、その障害の程度は比較的軽症だと思います。言葉もある程度話せますし、自転車にも乗れます。数学はまったくダメですが。私は自転車にも乗れないと思っていましたが、家族がバケーションでフロリダに行って帰ってきた時、顯士が私の目の前で自転車に乗り始めました。「いつ覚えたの」と家内に聞いたら、「向こうのおじいさんが、顕士だって自転車に乗れるよ、と言って教えてくれた」ので乗り始めたそうです。このように、「この子はできない」と、私たち 自身の中に限界を作ってしまいがちです。

8月の初めに、昨年と同じ「ニューホープファーム」で、キャンプをやりました。そこに、一組の日本人家庭が6歳の男の子を連れて、参加しました。子供たちがボランティアのケアで乗馬をしている間、合計4回のミーティングを持ちました。そこで、自分の子供の証や今後の方向性について話しをしました。日本人の家庭のお父さんが開口一番、「質問を書いてきました。なぜ、祝福家庭に障害児が生まれるのでしょうか。」と質問しました。これは、全員が通過する心情路程だと思います。私も同じでした。
しかし、悩みに日々暮れるのではなく、いかにその苦しい心情を受け止めることができるかです。そのような期間をいかに短くすることができるかによって、私たちの人生が惨めな人生なのか、幸せな人生なのかの岐路になると思います。
私たちには特別な使命があると感じております。なぜかと言うと、障害児を通して大きな証をすることができるからです。私たち親と子の関係を見て、感動する人が多いのです。

私自身の体験を申しますと、確か田園調布駅だったと思いますが原研時代に、私が教会活動をしている時、数人の障害者が車いすに乗って、募金活動をしていました。以前は どちらかと言うと、「変な人だなあ」と、近寄りたくない心情を持っていました。しかし、自分の子が、障害児だと分かった時点で、ドーマン博士の研究所に 通って、いろいろなレベルの障害のたくさんの子供たちを見て、そういう子供たちに、非常に心情的に近くなりました。

先日、マクドナルドで順番を待っている時に、高校生ぐらいの男の子が「いいネクタイをしていますね」とある男性に話しかけ、次に私の所に来て、「あなたのネクタイ好きですよ」と突然言ってきました。私がその子に、「今、学校に行っているの」とか話しかけていたら、注文していたその子のお父さんが、おそらく私がからかっていると思ったのでしょう。振り向きました。その時、私は「私にも実は障害児がいるんですよ」と言ったら、お父さんが「ありがとう」と言ってくれました。自分の子供をさらけ出すのが恥ずかしいような思いでいたのに、同情心で話しかけていたというのが分かったのでしょう。(私は子供の話しをすれば泣けてきます)
結局は、顯士を通して、私の心の中に、障害者に対する思いやりの心が起こってきたのです。なぜ私たちは障害者を持っているのかといいますと、私たちは子供の世話をするためではなく、十字架を背負ったのでもなく、私の成長のために、子供を授けてくださったのだということが言えます。この子を通して私の人格を高め、完成してほしいと神様が願っておられるということを感じるようになりました。自分の足りなさが、自分の子に接する時によく表れます。皆さんも同じでしょうが、同じことを何度も言ったり、やったり、あるいは言ってもやらないこともたくさんありますし、それに対して、親としていらだちを覚えます。そういう時に、いらだちで怒ってしまうのか、あるいはじっと我慢して、「忍耐力を養うためにうちの子がいるのだな」と、どちらを感じるかをいつも思わされています。「天の人間になるんだよ」ということを神様がおっしゃっている気がします。自分の成長のために、顯士は私の近くにいるという感じがしております。ですから、だじゃれで申し訳ないのですが、観点の転換が私たちに願われていると思います。観点は、自分の子供に対する見方ですね。それを転換していくのです。障害を持つ自分の子供を、普通の子女のように扱うことが、ある意味で大切だと思います。その子供に対する同情心が逆に甘やかしにつながってはいけません。

ドーマン博士の研究所に行った時に、講義を受ける訳ですが、その時に次のような話しがありました。あるお母さんが「うちの子はこういう態度を取るのですが、どうしたらいいのでしょうか」と聞いた時に、ドーマン博士は、「あなたにはお子様がいらっしゃいますか」と質問したそうです。さらにそのお母さんが「私の子がこういうことをやるのでどうしたらいいか分からないですけれども」と聞いた時に、ドーマン博 士は、「あなたにはお子様がいらっしゃいますか」と3回切り返したそうです。その時、お母さんは「この子にも普通の子と同じようなしつけをしないといけな いのだ」とはっと気づいたそうです。

顯士の相対者は、ソーニャと申しまして、コロラド州デンバーに住んでいます。実は今、私の家に来ています。私がアメリカに帰る時には、既に自分の家に帰っていると思います。彼女は、ダウン症で、16、17歳になるまで、自分に障害があるということを気づかなかったそうです。彼女は、普通に話せますし、乗馬もやります。水泳も得意です。ただちょっと足りない所はあります。普通の子と同じように親が育ててきたのです。

私は、顯士を訓読会に参加させます。少し読めるんですね。交替で1節、2節読みながら、参加しているという意識を持たせるために、本人にも読ませます。2、3行助けながら読ませます。途中まで読んで、最後の言葉を読ませるとか、簡単な単語を読ませるとかして、よくできたねと褒めてあげます。

幸いにもうちの子は、忍耐力が強くて、どんな所に行っても、例えば、お父様のスピーチの場とか、礼拝に出ても、私たちの側にじっと座って、最初から最後まで、立ち上がったりしません。その忍耐力はすごいです。そういう面では手間が掛からない子供です。ポテトチップの袋を取り出したりして、おやつを自分で食べながら、テレビを見たり、ビデオゲームをするこができます。時々、家に一人で置いておくこともあります。子供は、自分の悩みの対象ではなく、恵みの対象であるという意識に転換できれば、本当に私たちの信仰生活が豊かになっていくと思います。

「世界最強のお父さん」というビデオをご覧になりましたか。アメリカ人のお父さんと車椅子に乗ったきりの息子の話しです。地元の大学工学部の協力を得て、コンピューターで息子が意見を伝えることが出来るようにしたのです。ある時、彼は走りたいと表現しました。運動にほど遠かったお父さんが、彼を車椅子に乗せて走り始めました。このお父さんはトライアスロンの選手になり、どこに行っても、必ず彼を連れて走るのです。走る時、息子さんは、前に座りながら、風が受けるとうれしそうな顔をしています。そして、自分が障害者であることを忘れてしまうというのです。それからはお父さんの人生は息子と一緒に走ることに全てを捧げることになったのです。子供と一体となることによって、子供に喜びを与えることができるのです。そのビデオを見る度に、私は涙を流します。

意識の転換の例として、神様の愛がどういうものかを私の体験を通して話してみたいと思います。学生時、毎木曜日に、一般の教会での朝祷会に行っていた時に体験したことです。教会の入り口に猫がいて、何か狙っているような姿でした。ちょっと見回しましたら傷ついた小鳥がいました。一撃を食らわされて、翼が痛んでいました。そこで、かわいそうに思って、小鳥を捕まえて手当をしてあげようと思いました。 そして、猫を追いやって、小鳥を教会に入れようとしましたが、小鳥がバタバタしました。逃げてほしくないので、もっと、ぎゅっとつかんで、中に連れて行きました。礼拝が終わった後に、「傷付いているので、世話してください」とその教会の人に頼みました。次の週に行った時に、世話をしてくれた人は、「小鳥は、2、3日後に死んでしまいました」と言いました。とても悲しい思いをしましたが、この体験を通して、ものすごく神様の愛を感じました。どのようにかと言いますと、比喩ですが、その傷ついた小鳥は私なのです。私の両手は神様の手です。私たちは、一生懸命に生きよう、生きようとして、傷つきながら、その神様の愛の手から逃れようとしている。生きるために、絞 め殺されるのじゃないかと逃げるのです。神様の愛の手は、生かすためにもっと強く締めます。それで、そうしなければその小鳥は生きられないわけですね。逃げたらもう死しかない訳です。

私たちの信仰生活において、私たちは、生きよう、生きようとして、神様の愛から実際は逃れようとしている。私たちは、神様の愛の中に生きているのに、それ が分からないので、そこから逃げようとしている。私たちの与えられた環境は、神様の愛の中のそのものだけれども、そこから抜けることを通して生命を求めて 行く。全く逆の事をしようとしているのです。その愛が分からないのです。神様は一生懸命語りかけているのだけれども、その語りかけているのが分からないのです。ちょうど鳥かごの中の小鳥のように。ペットを飼っている人は、毎日エサを上げます。エサを上げながら話しかけます。元気?ご飯だよ、とか。言葉が返ってくる事は期待していません。「おなか空いた」「今日は気分が悪い」というペットはいません。私たちは意思が通じていると思っています。神様が私たちに一生懸命話しかけて下さるのに、私たちは神様に話しかけられない。この立場とよく似ています。

私たちの人生には、見方を変えることを通して、神様がどこにでも宿っていることが実感できるのです。修錬会から帰ってきた時、元の環境に戻る訳ですが、自分の中に神様の愛が宿っていれば、見るもの全てが違います。観点を変えるだけで、全てが新しく見えるのです。私の与えられた環境、障害児が生まれてきたということに対して、どう受け止めるかということです。それを悩みの種として受け止めるか、恵みの種として受け 止めるか、それが問題だと思います。アメリカで、障害児を抱えて「この子は、この世の何ものにも変えることができない貴重な存在だ」と証をする親がたくさんいます。障害児から、普通の子からは得られない愛を感じるんですね。神様の立場から言えば、そういう不幸な者であればあるほど、愛の水が一番流れ込みます。惨 めな立場の子供たちに、神様の情が注がれていると思います。情の世界において、そこに神様の愛を見出せるように、そのように観点を変えられたらいいと思います。

私たちには、み旨がありますが、私たちの子供は最終的には親が責任をとるしかありません。私がアメリカの統一神学校を卒業した時、日本人の卒業生は日本で活動するように願われていました。しかし、日本に帰ったら、子供の治療ができないと分かっていましたので、最終的には、親が決断をしなければいけないと思い、子供 に対することだけでなく、信仰者として、アメリカに留まりました。

私たちの使命は、最終的には理想家庭を築くことにあります。霊界に行った時に、私たちの心情がどれだけ天につながっているか、どれだけ愛の人になったかが問われるのではないかと思います。

 皆さんの中で、普通の学校に行って、普通のことができるのだけれども、しかし、ちょっと欠けている、ちょっと難しいと周りの人から見られるボーダーラインの障害児がいます。ドーマン博士もおっしゃっていましたが、こういう人ほど社会生活するのがに難しいです。社会は普通の人と見てしまうので、普通の応対を予期していますので、ちょっと変なことを言ったりすると異常に見られるからです。身体的に、車いすに乗っているとか、見てすぐ障害児だと分かる人はそのように見られますので、それなりの応対を予期するわけです。ですから普通のように見える(アスペルガー症などの)障害児ほど苦しみます。そういう子供をどうやって導いて行くかが課題です。

み旨と障害児を抱えた家族。どうやって調和させていくかということだと思います。私たちには特別な使命があります。自分の子供と親との関係を見せて、神様の愛を証していくのです。親子の姿を見せて、「どうしてここの親は子供をそんなに愛しているのだろう」と、その愛らしい姿を見せて、証して行くことができると思います。私はいつも顕士のために、顕士にしかできない方法で、天を証しすることができますようにと祈っております。他の人がやらないようなことをやる、そのような姿を通して。

彼は、祝福を受けて帰ってきた時、彼の先生に「私には妻がいる」と言い出しました。「え、どうなっているのですか」と、その先生から電話がきました。家内が電話を受けて、私たちの教会は理想家庭を目標にしておりますので、家庭が大切なんです」と答え、原理の説明をしました。そして、先生はそのことを理解しつつ、顯士を教育してきました。全然既成概念が無いので、「I have a wife」と言っても、先生は何の抵抗を感じないんですね。彼独自の伝道の方法があるのだなと感じました。そういう内容を聞きながら、その先生は、自分の結婚式に教え子の中からただ一人、顯士を招待してくれたわけです。

皆さん、誰でも親はいつか昇華することになります。こういう子を一体誰が見てくれるのかということが心配になると思います。私も同じです。アメリカにいる親たちも同じです。アメリカでも今回キャンプでそのような話しが出て、グループホームを設立していこうという動きがあります。私たちの理想としては、二世で祝福を受けたカップルや、児童心理学、社会福祉を学んだ人たち、障害者を世話したいという公的な心情を持った祝福家庭が、そのグループホームの責任者になる。ニューヨークかワシントンが今食口の数が多いので、どちらかに一つモデルとして作り、各州にそれを展開していきたいというのが今後の展望です。

それから、アンケートの中に、「社会に役立つ人間になってほしい」というのがありましたが、私は、障害者たちが、自分の姿そのままで、社会に役立つ人間にな れると思います。特別な技能を教えるとかではなく、今できることを習えるのでしたらそれにこしたことはありませんが、自分の姿を見せることを通して、証し人になる、そういう方向で導いていけたらいいと思います。中には教会の責任者の理解をなかなか得られないという意見もありましたが、フルーツバスケットとしても、理解してもらえないというのは、受動態ですので、 自分をコントロールできないのですね。してもらいたいではなく、逆に責任者を感化していけるような姿勢で臨む方がやりやすいと思います。

これは一つの哲学でもありますが、「私はある人に腹が立った」「私の心を傷つけた」そういう否定的な心が起こったとします。「された」という姿勢がある限り、絶対その状況は変わりません。それは、「された」のではなく、「させた」のです。自分が傷つくように、自分の情を任せてしまったということです。相手の言うことに対して、傷つけることを許してしまった。そうなれば、自分が主体なのです。自分が主体でやったり、感じたことは、自分がコントロールできます。 他人がやったり、言ったりすることは私たちはコントロールきません。

しかし、私たちが変えられるのは、自分の考え方と行動です。私たちはいろいろなことに対して悩みますが、中にはどうしようもない悩みがあるでしょう。相手が何かを言った時に、それを消化するならば、その人に対して「かわいそうな人だな」「まだ幼いんだなあ」という親の情がわいてくるのです。怒るのではなく、傷つけられたと思うのでもなく、かわいそうだなあという情が湧く人間になれば、自分の人格が高くなるでしょうし、そういうものに左右されないようになるのです。
結局、自分の考え方、観点を変えることを通して、私たちの人生はどんなに幸せに、喜びに満ちたものになることでしょうか。喜びを私たちの手でつかむことができるのです。

仕事のことを心配されておられる方がいらっしゃいますが、アメリカでは、身障者に対して非常に寛容で、あまり知的に発達していない人でも採用してくれる会社が結構あります。皆さんの子供さんの中にも、ある程度成人になって、社会人になる準備ができている場合には、ある程度の簡単な仕事ができるでしょう。アメリカではテーブルを拭いたり、飲み物を冷蔵庫に入れたりと、給料は安いですが、仕事はあります。米国企業で、会社の方針がアメリカと同じであれば、勤めるのが易しいところがあるかもしれません。スーパーに行きますと、カートを受けて、並べるなどの簡単な仕事についているのを見かけたりします。

最後に、祝福の話しをしたいと思います。これは、人類の願いです。マッチングはこれまでお父様がされてこられましたが、障害児に関しては親がやるしかないと思います。(健常児二世のマッチングもそうですが。)私の息子と彼の相対者のマッチングは、私が清平での修練会に行った時、相手の方のお父さんに出会ったのがきっかけです。久しぶりにあったので、交流しているうちに、「あなたの息子さんとうちの娘は合うのかも知れない」という話しになり、私はすぐに家に電話しました。そうしたら、妻同士が連絡を取り合い、私が帰った頃には、だいぶ話しが進んでいました。一カ月ぐらいで、「マッチングが成立したことにしましょう」と、正式に発表しました。

向こうのお父さんによれば、以前、「お父さん、私も祝福受けられるの?」と娘さんが聞いたことがあるそうです。その場ではすぐに答えができなくて、「この子でも本当に祝福を受けられるのだろうか」と心配して、陰で泣いたことがあると私に話してくれました。私の家内も同じように「霊界祝福しかない」「うちの子を受け入れてくれる家庭は地上にはないだろう」と思っていました。そして、マッチングが成立して、梁大陸会長が私たちの息子と娘の写真をお父様に見せられた時、お父様が大きな関心を示されたとのことです。写真をご覧になって、その背景とか問題とかがすぐ分かりますから、いろいろ質問をされ、時間を割いてお話をされたとのことです。お父様は、「全てこういう問題を持った子供が、 マッチングを受け、祝福を受けられるように努力しなさい」と梁会長にお話しをされたそうです。翌日、梁会長から私にお電話があり、その時の様子を話してく ださいました。

そして、障害者の問題をどうするかの話しを家庭局で始めた時に、「あなたはどうか」と私たちに声がかかりました。最初に祝福を受けさせた親として、責任感、使命感を感じていましたので、すぐに「私たちがやりましょう」とその提案を受け入れました。

アンケートの中にありますが、「果たして私の子は祝福を受けられるでしょうか」ということですが。皆さん、待っていてはダメですね。私の家内は、話し好きで、誰とでも話します。梁会長に「梁会長、お宅のお子さんとマッチングはどうでしょうか」と私の娘について話したぐらいです。

今アメリカでは、「身障者二世部のウェブサイト」に、マッチングの候補者の写真が載っています。2番目のカップルができたのは、ウェブサイトを見たオランダの両親からアメリカの女性の二世の両親に連絡があって、交流が始まりました。最終的に両者がOKを出して、カップルが成立しました。
どういう相手の人がいるか、ある程度皆さんの中で情報交換しながら、もっと積極的に、年頃のお子さんのいるところでは、どんどん交流して、お話されたらいいと思います。

どのようにマッチングを進めていくかということになりますと、理想は、同じレベルの障害を持った子供同士がマッチングされるのがごく自然だと思います。両者の両親もお互いの事情(難しい点)を知っているので、お互いに理解しやすく、うまくいくのではないかと思います。もう一つは、堀局長のお話が会報に掲載されていますが、片方が障害者で、それに健常者に近い子女とマッチングさせるものです。その子女が、障害者でも面倒見てあげたいという親心的な大人の心情を持った人であれば、成立すると思います。もちろん、両方の親が了承した上でです。だからマッチングは、6人の同意が必要であるということです。両方の親と本人同士は健常者の場合ですが。ある程度、意思の疎通ができる子供を抱えた方でしたら、本人がイエスかノーか言える能力がある子女であれば、ちょっと聞いてみてもいいと思います。重症の場合でもだいたい同じです。あとは、霊肉の祝福です。 
基本的には、同じレベルの対象者を探すのが自然なアプローチだと思います。

最後に、皆様のご健康をお祈りいたします。ありがとうございました。



天 宝 会
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